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所長コラム(バックナンバー)

9月:共生の時代を生きる

更新日:2018-9-1

日本の総人口は、総務省の統計によると、1億2500万人で、毎年35万人程度減少している。労働人口が減っていくために、国策として外国人を積 極的に受け入れ、昨年は年間17万4000名に達した。受け入れ側の対応は十分できているのだろうか。

学校教育では、日本語が十分理解できないと障害児として扱われてしまう。 特別支援学級に組み入れているところもあるらしい。支援学級に通う日本人の生徒は1・48から2・26%程度で、外国籍の生徒は5・01から6・15%という。現場で指導する先生も大変である。今のシステムでは、日常の生徒への対応に手一杯で、時間外に特別指導する余裕はない。国としての一貫した方針はなく現場にしわ寄せが及ぶ。しかし、教員募集に「日本語を指導する枠」を設けている先進的な市町村もある。普段の授業は日本語で行い、難解な部分は母国語で解説する。複数の言語に堪能な教員が必要になる。巷では多言語を教える学習塾も現れた。

わが国は江戸時代の鎖国政策もあり、他民族を受け入れ難い閉鎖国家として成長し、自国の文化、習慣、価値観などを熟成してきた。四方を海に囲まれた地理的条件も関係している。陸続きの欧米や大陸では人の交流が激しく、いろいろな思想や言語を通じて、広い思考力が培われた。外国には空気を読む、曖昧な表現を忖度するという習慣は育たない。

地域に外国籍の人が住むところが多く見られる。残念ながら、地域住民と外国人とのコミュニケーションは十分とは言い難い。よそ者扱いである。自治会の会合やイベントへの参加、ゴミ出し当番やバザー担当役員などで、地域の生活に早く馴染んでもらう。我々も他国の考え方や習慣を積極的に学ぶ。 共生の時代である。

今は、日本ブーム。外国から沢山の人が来ている。我が国の生活・考え方・言葉・日本の美しさを世界に紹介するいい機会である。昔からの日常生活で養われた奥ゆかしさ、優雅さ・繊細さ、立ち居・振る舞いなど、世界に誇るものは沢山ある。

8月:西日本で未曽有の豪雨

更新日:2018-8-1

6月末から始まった大雨。九州・四国・中国・飛騨地方を中心とした豪雨で、甚大な被害が発生している。残念ながら、死者は220名を越した。

明けきらぬ梅雨前線に台風が加わり、連日の雨。48時間で1、000㎜を超し、50年に1度の気象異変という。長雨が続き、土砂崩れの発生要因が全て揃ってしまった。地表3~4mの表層崩壌のみならず、40m以上の深層崩壌が加わった。気象庁は、早くから大雨特別警報や記録的短時間大雨情報を出し、早期退避するように呼び掛けていた。

 「正常性バイアス」という語がある。過去の経験から判断して、今の状況ならば大丈夫だろうと考えてしまう。現状を甘く、軽く見てしまった。一方、着替えとか飲み水など何の準備もなく、心の余裕を失って慌てふためく人々にとって、大雨の降る暗い夜道を如何退避すればいいのだろう。昔から、非常時の避難方法や家族が離散した時の集合場所などを、平穏な時に話し合っておくように言われてはいるが…。

昔から怖いものとして、地震・雷・火事・おやじといわれるが、水害の話は出てこない。しかし、古事記の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は水を支配する龍神であり、櫛名田比売(クシナダヒメ)は稲田を意味する。足名椎(アシナズチ)・手名椎(テナズチ)の娘7人が大蛇に食べられてしまった。惨事を聞きつけた素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、大蛇に強い酒を飲ませて退治し、比売を救う。氾濫する河川を治めた物語である。

江戸時代には、水を支配する魔物がいて人に災いをなし、洪水を呼ぶと考えられていた。浮世絵師 歌川国芳は、魔物と人間の戦う様を生きているように描き出している。頼朝に追われた義経が、船で摂津から西国に逃れる。俄かに空がかき曇り、荒れた海になった。壇ノ浦で藻屑と消えた平氏の亡霊が、襲い掛かる。夜叉と化した平知盛の亡霊が義経を襲う。弁慶が数珠を手に経文を唱えて追い払う。逆巻き荒れ狂う海。

五月雨や大河を前に家二軒  与謝蕪村
(何日も降り続く五月雨のなか、水嵩を増して荒れ狂う大河。対岸には二軒の小さな家が建っており、いまにも流されそうだ。) 蕪村も人間の無力に気付いたことだろう。

埼玉協同病院の近くに水神社がある。県道吉場安行・東京線の芝川橋の袂にある。芝川は享保年間に井沢弥惣兵衛為永が、河岸場から江戸へ年貢米を届けるために創った。帰り船には肥料、塩、酒が満載されていたという。船の往復道中の安全を祈願したのである。

「毎年一度や二度の水騒ぎは屹度ある。未曾有の出水と言ひ何十年振の損害と言ふもの殆ど月並的になった。一向に未曾有らしくも、何十年振りらしくも響かぬやうになった。天変地異が月並になるやうな国も困ったものだが日本人が天然に対する奴隷的服従の辛抱力は寧ろ驚嘆に値する。(昭2・9・24 大阪朝日 天声人語)」

西日本豪雨は色々のことを考えさせてくれる。亡くなられた方の御冥福を祈るとともに、被災者の復旧が早からんことを願うばかりである。

7月:頭の若さを保つには

更新日:2018-7-1

人生90年。あたまの働きをいつまでも若いままで保つには、どうしたらいいか。
パズルやゲームをするのがいいという。クロスワードパズルは記憶している言葉が沢山ないと解けない。ジグゾーパズルは絵を組立てるもので、なかなか頭を使う。

スウドクパズルというものがある。3×3や5×5の箱の中に、行と列で同じ和になるように数字を埋めていく。同じ数字を使えない。通勤電車のなかで、60歳を越した紳士がひとり、脂汗をかきながら顔をゆがめて解いている。楽しんでいるのか、苦しんでいるのか解らない。幾つかの駅を乗り過ごしてしまったようだ。バツの悪そうな顔をして、頭をかきながら降りて行った。スウドクパズルは左脳を活性化し、情報を組み立てる力を養うとされているが、本当に脳の活性化につながっているの だろうか。

先日、ある人との話。30分歩く。その間に、何人に行き会ったか。男性は何人。女性は何人。電柱は何本あったか。右に何本。左に何本。何台の自動車が通ったか。トラックは何台。ナンバープレートの末尾0は何台通ったか。 頭の老化を防止する方法は何処にでもある。何時でもできる。いろいろのことに興味を持つことである。

わが国には古くから、優雅な脳の老化防止ゲームがある。
謎かけ問答。「富士の白雪とかけて 難しい謎と解く」 ノーへ節で名高い富士の白雪。外国からも観光客が、富士を眺めにやってくる。「その心は めったに解けない」 万年雪を頂く雄姿は昔から人々に愛され、わが国の文学には欠かせない崇高な舞台を提供し続けている。心のよりどころにもなっている。

 「言葉しがらむ唐糸(からいと)のとくにとかれぬ下心」 その心は「恋」
近松門左衛門の浄瑠璃にも「恋といふ文字の字なりを判じ物、言(ことば)しがらむから糸の、解くに解かれぬ下心、いとをしや虎小将」とある。

脳の活性化に、古典的な謎かけをいくつか提供したい。

明日の天気とかけて 風呂敷つつみと解く その心は(出典:対馬)

上手の相撲とかけて 千手観音と解く その心は(出典:難波みやげ)

義経の果てとかけて 八重垣姫の話と解く その心は(出典:団15 )
(兄頼朝に追われた義経は、最果の地へ。八重垣は上杉家の姫で、武田勝頼の許婚。)

どんな明(迷)解が出ますことやら。江戸の粋人の謎かけに挑戦し、若返ってみてはどうだろう。

6月:忘れた頃にやって来た「はしか」騒動

更新日:2018-6-1

沖縄で端を発した麻疹(はしか)が関東や東海でも流行り出した。

台湾の旅行者から沖縄で流行。沖縄を旅した人が名古屋市内の医療機関を訪れ、患者を介して感染が広がった。同時に、沖縄から川崎や東京へも人を介して広がった。二次感染、三次感染である。

麻疹は空気感染。免疫のない人は 95 %発症する。涙や鼻水が止め処なくでるカタル症状で始まり、高熱が出る。一旦解熱し口腔に白い斑点(コプリック斑)が出るのが特徴。再び発熱し、耳の後ろや頸部から発疹が始まり頭から全身に及ぶ。四―五日で解熱する。

文久二年(1862)、「流行はしか合戦」という江戸瓦版がある。

 「体に入て乱をなすとかや。ここは麻疹の判官やみつきと申すものあり。一族の病おわす。闇の熱蔵。汗かき暑中攪乱。大暑業病の太郎 大熱症。かん斎疳の虫蔵咳の出太郎 筋骨吊り右衛門 腹痛ん大逆上 のぼせの助を始めとして 麻疹に従ふ病勢 我も我もと馳集まり 人間界の十鳥たる五臓六腑の体内城にぞ 攻め寄せたり。先陣の大将粗闇捏造汗かき その日の井出達には 緋色の鎧 熱湯の兜を頂き 火炎の熱気を火の車のごとく振舞わし いざ一番乗りとぞ 呼ばわったり。」

麻疹の症状が面白おかしく説明されている。
後半には、 「いよいよ麻疹の一族段々蔓延りて 広き世界満ちたりければ 貴賤の男女その数何百万といふを知らず。中には 彼がために命を失ひ 渡世に差し支へ 難渋するもの少なからず。(以下略)」

麻疹で命を落とすこともある。この後、これを防ごうとする努力が戯曲風に描かれている。
江戸時代では、麻疹は大病であり余病を併発する基でもあった。

予防接種の普及で麻疹の発生は著しく減少し、WHOは日本を麻疹を「排除した国」(地域流行が一年以上ない)に指定した。今や「輸入麻疹」が主。麻疹流行が一年以上続くと認定は取り消され、感染流行国とされる。

二回のワクチン定期接種と、麻疹が疑われる場合にはまず電話で病院に相談し、直接人と接するのを避けることが大切である。麻疹排除国を取り戻したい。

5月:幸運を運ぶ「つばめ」

更新日:2018-5-1

今年も燕が飛来する季節がやってきた。燕は縁起のいい鳥、幸運の鳥である。軒先に巣をかけるのは縁起が良い。商売繁盛、健康のもとと受け止めている地域が多い。都会では、残念ながら、昔ながらの軒先に燕が巣をかける姿を見かけなくなってしまった。家の中には広い土間がなくなり、軒先にも新しい巣を作る場所がなくなってしまった。

神奈川県や岡山県などでは、燕が 10 年間巣を作り続けている家では、子安貝などをその燕の巣に入れていたそうである。火災もなく、無病息災で過ごしてきた日々を、燕にお礼するためである。新潟県、長野県、山形県、福岡県など多くの地方で、稲田の上を飛びまわる燕に、豊作を祈願するところが多い。

また、燕は占い鳥でもある。東海地方では、「雨降りなんとするに、此の鳥雲中にて翻り飛びて啼く。」と雨占いに一役買っている。

つばくらめ御簾(みす)な汚しそ玉鉾(たまほこ)の
道の泥濘(ぬかり)を巣に運ぶとて
むかしの歌とかや。玉鉾は道にかかる枕詞。雨後に道の悪しくて泥などあるを、ぬかりといふ。吾妻こと葉なれど、よきこと葉と言えり。

安原貞室  片言(慶安三年 1650)

燕よ。公家の家に巣をかけるとき、運んできた嘴の泥をすだれの上に落として、汚さないように用心して飛びなさい。

燕の飛び交うのをこよなく待ち望んでいた公家。嘴に含んだ泥が公家の簾を汚さないかとハラハラして見ている。我が子のように心配している。燕へのやさしい思いが眼に浮かぶ。幸運を運んでくる燕。昔の田舎のどこにでもあった風景。今でも見られるのだろうか。

4月:川診同窓会

更新日:2018-4-1

3月初めに川口診療所の同窓会が行われた。久しぶりに寺島先生のお元気な姿を拝見した。

私が診療所に勤務し始めたころに勤めていた看護師さん、事務の方、技師の方、組合生協の方など多彩な顔ぶれ。総勢15名程度が集まって、旧交を温めた。生憎の雨。寺島先生は、暦年齢とは反対に、お元気に活躍中。私も一層頑張らなくては……と感じ入った次第。

七十に満ちぬる塩の浜びさし  久しくなりぬ和歌の浦なみ  細川幽斎

出席した皆さんは、食事をとることも忘れて、川診の将来を真剣に語り合ってくれた。医療・介護のシステム。現行の地域包括医療制度で、日常生活を楽しく過ごせる、誰でもが気軽に利用できるデイケアにすることが大切である。利用する人々が中心になって、職員と共に充実したプログラムを作り上げていくことが重要な課題になる。デイケアの再建は、待ったなし。広く英知を集めて、どこにも負けない施設を作り上げたい。

隅田川深かれとても書き置かず  人波の水茎のあと  源 光豊

深い思い、人並みの思い。考えはさまざま。若い人から年を召した人まで、地域の多くの人々から、色々な建設的な意見を頂きたい。

更に、協同病院と診療所の役割分担についても、熱い議論が続いた。病院の大方針に診療所のこれからの計画をどう合わせていくのか。幹となる基幹病院との堅固な繋がりの重要性も強調された。信玄公の言「危うからざる備へ立て。」偉大なる戦国武将は、自国民のみならず他国民からも「勝利疑ひなき御定」と尊敬されている。いにしえびとの英知を学び取りたいものだ。

川診のOBは健在だ。将来の川診の夢、協同病院との連携、更に我が国の医療のこと。みんな、川口診療所を深く愛し、色々のことを考えてくれている。寺島イズムが息付いていることを強く感じた一日であった。

頼みつつ民のたのみ田堤(つつみ)の田

みんなで支え合い、みんなで作る田園風景。これは回文といって、上から読んでも下から読んでも同じになる。江戸の遊び心である。

皆さんからの一層のご支援をお願いしつつ、稿を閉じたい。

3月:武見国際シンポジウムからのメッセージ

更新日:2018-3-1

世界各地で経済格差がみられる。貧しい地域では豊かな所に比べ喫煙者が多く、肥満者が沢山見られる。平均寿命も短い。先日参加した日本医師会・ハーバード大学 国際シンポジウムの席上で示された多くのデータが、如実に実情を物語っていた。

やがて再び東京オリンピックの年を迎えるが、過去二つの大会での教訓が示された。ロンドンオリンピックでは、開催直前に食中毒が発生した。新しい検査法が開発され、その後の感染症のアウトブレークを抑え込んだ。しかし、大会後、英国内に運動は普及せず、オリンピックが国民の健康を向上させることには役立たなかった。

リオオリンピックでは、開催に先立ち病院に新しい医療機器が準備された。外国から押し寄せる多くの人々に対応するものである。電子カルテも導入した。健康状態の情報のデータを持参すれば、ブラジル人以外へも円滑に対応できた。オリンピック後に、医療機器はリオ市内の病院で利用され、電子カルテもそのまま医療に導入された。残念なことに汚職スキャンダルが発生し、財政の緊迫に拍車をかけたのは新聞で報道された通りである。

わが国では、今やITの活用が花盛り。疾患の発症を予測する試みがある。ゲノム情報を含めてビッグデータの蓄積ができ上がり、認知症や糖尿病などでは75%程度の確率で疾患の発症や進展が予測できる。発育期や子供の頃からの生活習慣を見直し、成人期に病気が発症するのを遅らせようとの研究は順調に進んでいる。また、病気を重症化させない疾患修飾薬の研究も始まっている。

独居の人にはAI見守りセンサーをつけ、日常生活の活動量を観察する。運動量が低下してきた場合には、向こう三軒両隣の人々が積極的に生活支援やリハビリ援助などに加わる。地域の中にお互いの健康を管理するシステムが出来上がった。

日本を参考にして、世界各国で独自の健康管理のプログラムが始動している。日本の研究を国内のみでなく、他国の人々へも平等に役立てて欲しいという要望も強い。

皆さんには、最先端の科学の進歩を健康管理に積極的に取り込んだやり方で、満足できる健康寿命を維持していただきたい。

2月:桃太郎の教訓

更新日:2018-2-1

朝日新聞の天声人語に福沢諭吉が語ったという言葉が載っている。

「ももたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや」

鬼が島にある宝は、鬼が所有しているもの。理由なく取り上げてしまう桃太郎の行動には正当性があるのだろうか。盗人か強盗である。鬼にも妻や幼い子供がいるかもしれない。ここまで考えてくると、皆さんは鬼退治に賛成しただろうか。桃太郎は悪人だというわけである。鬼は何故悪者なのか。別の見方をすると、見えないものが見えてくる。自分にとっての正義は、他人から見ると理不尽に映ることもある。

甲子園の名物高校野球に、タイブレーク性を導入するという。9回まで勝負の決着がつかないと延長戦になる。15回でも勝負がつかなければ別の日に再試合をする。勝敗が決まるまで試合を繰り返すのが、スポーツの原則である。これが、ファンの気持ちを掻き立ててきた。タイブレークの導入は野球の面白さを半減し、導入悪だという意見もある。

今までにも、延長戦や再試合は、決められた期間内での運営に少なからず影響を与えてきた。しかし、高校生の体力の消耗や疲労により身体を壊し、将来の有望な若人の芽を摘み取ってしまうと選手を気遣う声が昔から多くあった。観客の視点のみではなく、選手の側から見た健康管理法を考えることも必要だ。

松下幸之助翁は「素直」という言葉を重んじたという。素直に他人の言葉に耳を傾け、周囲の意見を謙虚に取り入れて考えれば、必ず解決の道が開ける。今の時代に、改めて噛みしめたい言葉である。

1月:水沢腹堅(すいたくあつくかたし)

更新日:2018-1-1

謹賀新春。おめでとうございます。昨年遅れからインフルエンザが大流行しております。学級閉鎖をして対応している小学校も見られます。熊本大地震のために沢山のワクチン工場が壊れ、ワクチン製造ができなくなってしまったのが一因のようです。

診療所やデイケアを日頃からご利用いただき、有難うございます。昨年の暮れのクリスマス会には沢山の方々にご参加いただきました。みんなで大声を出して歌い、落語を聞いて笑い転げ、楽しいひと時を過ごしました。準備および進行をしてくださった組合員の皆さん、また、お忙しい中を最初から最後まで同席して頂いた矢野議員に感謝しております。この会も年を追うごとに盛会になり、大切な年間行事の一つとなっております。

年が明けて、また、一つ年を取りました。「年を取る」ということは、現在の年齢から一つ差し引くということで、一歳若返るという意味です。元気が湧いてきます。

今年は戌(犬)年です。戌年は財宝を招き金持ちになると言われています。夫婦は円満。子孫には有名な人が続出するそうです。沖縄では、犬の夢を見ると吉事が舞い込むと信じられています。楽しみな年になりそうです。

 犬は最も人間に親しい動物。古代には犬飼部という職業団体があり、犬の飼育訓練をしたという記録があります。貰ってきた子犬がなつくようにするには、床下の土を少し食べ物に混ぜる(熊本、山形)とか、黒砂糖を食べさせる(愛知)という俗信が残っています。犬の張子を枕元に置くと子供はよく成長すると言われています。犬にまつわる民話や伝説がいろいろなところで見られます。

新玉に、皆さんは何を期待するのでしょうか。どんな決意をしたのでしょうか。

氷が厚く張り寒い日が続きます。ご自愛ください。

12月:地球地理学に新たに刻まれる「チバニアン」

更新日:2017-12-1

地球の地面が出来上がった歴史の時代を、地球上の地層の古さで決めている。地質学では岩石のできた年代や生物化石の変化に応じて、地球の歴史を115の時代に分けている。

この度、千葉の市原市の養老川沿いの地層に、「ふるーい・ふるーい」火山灰が含まれていることが解った。分析の結果、約77万から12万6千年前の時代のものと断定された。

地球では今までに何回も大きな星の衝突などがあり、地球には磁気信号が逆転するほどの大きな変化が起こった。北極(N)と南極(S)が何度も入れ替わったという。最後に大きく磁気が逆転して今の状態に落ち着いたのが、77万年前だった。

先日の報道によると、太陽系以外の星から400m×40m程度の葉巻型の惑星が太陽系の軌道を横切って遠ざかっていったという。地球の引力よりも強い力で飛行していったに違いない。同じ頃、東京周辺では大きな火の玉が見られた。1㎝程度の隕石が、大気圏に突入し、燃え尽きたものである。仮に、葉巻型惑星が地球に衝突していれば、地軸や地球の極性を変えてしまう事態も起こり兼ねなかった。北極と南極も入れ替わっていたかもしれない。

地球誕生は46億年前とされる。学生の講義の様で恐縮であるが、先カンブリア時代(藍藻類の石灰藻やバクテリアの化石が出て、生命の始動がみられる)から古生代(無脊椎動物の時代)、中生代(恐竜、爬虫類が活躍)を経て新生代(恐竜と爬虫類が絶滅の後、哺乳類と鳥類の繁栄期)に入った。新生代は今に続いているが、古い順に古第三紀(12mもある蛇、2.5mもある爬虫類、恐鳥類、鰐、鴨などの祖先となる生物が沢山現れた)、新第三紀(象、鹿、大型草食の哺乳類、犀、駱駝など)、第四期に分けられる。第四期が更新世(氷期と間氷期の繰り返しで海水面が大きく変動した時期)と完新生(最終氷期以降で気候は温暖となり、川、湖、海、砂漠など、現在の地球の姿になり、新石器時代が幕を開ける。)に分けられる。更新世はジェラシアン、カラブリアン、今回新しく分類されたチバニアン(千葉時代)(77万年前)および後期(12・6万年前)に分けられている。その後に完新世が続き(1・17万年前)(現代人類ホモサピエンスの出現)、現在に至っている。

地球の歴史から見れば、命名されたチバニアンは極めて若い時代の分類に属するが、地球地質学に日本の地名が登場するのは初めてである。この発見は快挙である。日本各地で建築事業などにより、土地が掘り起こされている。地質学の専門的知識がないと太刀打ちできないが、今立っている足元の土や岩石にも、古代の跡がたくさん詰まっているのかもしれない。

夢は大きく膨らむが、何とも、想像を絶する気の遠くなるような話でもある。

11月:かぐや姫の物語

更新日:2017-11-1

真竹や孟宗竹は暖かい地域が原産で、成長が早い。実際には竹の定着や生育に適した場所は東日本では35%程度と考えられていた。西日本や東日本では管理が追い付かず、こんもりと茂った竹林が多くみられるようになった。

地球環境が変化し、気候が温暖化してきた。18世紀末と比較して平均気温が1.5℃上昇すると竹の生育域は我が国の47%まで広がり、2から3℃上昇すると65 %程度、4℃まで上昇すると80%に拡大し、北海道全土に及ぶ。日本国中で竹林が茂ることになる。

ノーベル平和賞受賞者のアル・ゴア元米国副大統領によると、地球の温度はここ50年で0.3 ℃も上昇来ているという。東京の平均気温は1877年(明治10年)に14℃であったが2007年(平成19年)には17℃になっている。

「いまはむかし。たけとりの翁といふものありけり。野山に混じりて竹を取りつつ、万のことに使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむ言ひける。
その竹の中に、もと光る竹なむ一すぢありける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり。」

我が国の古典文学の祖とされる「竹取物語」の冒頭。大和国の飛鳥・藤原京の地を舞台とした物語である。この時期は温暖期であったので、竹もよく育った。「たけとりの翁、竹を取る。この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて、夜毎に黄金ある竹を見つくること重なりぬ。」翁は富豪になる。

かぐや姫は、現世の人間の愚かさを見据えていたのだろうか、時の権力者や地位あるものの求婚を全て断っている。しかし、遂には俗塵に塗れ、人の感情を持つようになった。

十五夜。「昼の明さにも過ぎて、光りたり。望月の明るさを十合わせたるばかりにて、在るひとの毛の穴さへ見ゆるほどなり。」月の世界から迎えが来た。月は不老不死の理想郷。かぐや姫は不死の薬を口にし天の羽衣を着て、帝に歌を残して迎えの車で月へ帰って行った。

今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひ出でける

かぐや姫から七百年を経て、人間は月に行けるようになった。科学が発達するに従って、琴線に触れるロマンが失われて行くのは寂しい。

10月:シダラ神のはなし

更新日:2017-10-1

シダラ神(志多良神)という今までにない新たな神を祭る運動が、天慶8年(945)に発生した。摂津国の民衆が主体となって、白い幣を掲げた神輿を担ぎ、謡を歌いながら京に向かって行進を始めた。手に持つ額には「自在天神」と書かれている。藤原氏に左遷されて、九州大宰府で非業の死を遂げた「菅原道真」を祭ったものである。

「幣帛(へいはく)を捧げ歌遊びし、前後を囲繞する輩は数千万人なり。」京に近づくにつれ、一緒に行進する人は次第に膨れ上がり、数千万人に達したという。数には誇張はあるにしても、可なりの団体行動になったようだ。菅原道真の人気にあやかったのは当然。しかし、時の藤原政権に対する政治的な要求が、こういう形で出ていることも忘れてはならない。

 「月は笠着る 八幡は種蒔く いざ我等は荒田開かん
 志多良打てと神は宣う 打つ我等が命千歳
 志多良米 早買ば酒盛らば その酒富める始めぞ
 志多良打てば 牛はわききぬ 鞍打敷け佐米負わせん」

リズミカルな拍子に合わせ、荒れた田を耕作するときに謡われた。内容は田園開発を称え、富を称える歌である。

京に近づくと「自在天神」の白幣を藤原氏の開催する御霊会に送りつけてきた。藤原政治に対する批判であった。「三綱ら驚奇して参向し、……、奇しみ恐れ」 為政者(三綱)は、陰の力に震え上がった。

「民衆はある女らに就きて神託して、石清水宮に参らんと……。」集団の要求は女性に依頼をして石清水参りに出かけ、大きな騒動にはならなかったようである。

大衆の力の限界なのか。かつての主婦連のしゃもじ運動を思い出した。

9月:今夏の珍事

更新日:2017-9-1

東日本の太平洋側を中心に、雨の日や肌寒い日が続いている。八月一日から降り始めた雨が、一日のどこかの時間帯に必ず降っている。平均気温も平年を遥かに下回り、いわゆる寒い夏である。台風五号が通過した後、日本周 辺の気圧配置が大きく崩れている。

大正初期の大阪朝日の記事である。

大正弐年の八月末に、関東地方は大型の台風に見舞われた。被害は王子・荒川・千住・豊島などで五千戸以上の家屋が浸水。台風は北上し新潟県を直撃。
死傷者九名、行方不明二名、家屋損害六千以上を出した。

その前年の天声人語に記された言葉が気になった。曰く、「毎年一度や二度の水騒ぎは屹度ある。未曾有の出水と言ひ、何十年振の損害と言ふもの。新聞では殆ど月並的になった。一向に未曾有らしくも、何十年振りらしくも響かぬやうになった。天変地異が月並になるやうな国も困ったものだが、日本人が天然に対する奴隷的服従の辛抱力は寧ろ驚嘆に値する。」

推古帝の時にも「霖雨(ながめ)して大きに水あり。五穀(いつつのたなつもの)登(みの)らず」 長雨で水害が出て、秋の収穫に大きな被害が出たことが記されている。

夏の寒さは、別の社会現象をも引き起こしている。

デパートでは、冬の定番商品であるはずの「屋台風おでん」と「中華まん」が、八月中旬に早くもお目見えした。アイスは殆ど売れ残り、スポーツドリンクは平年の六割程度の売り上げに留まっているらしい。逆に、冬野菜は品薄となり三から四割高という。外気温が低く、冬並みに鍋物を作る家庭が一気に増えたためである。

珍現象も出現した。雨で観光できない外国人が、デパート巡りをしている。 気紛れな天候に振り回されて、不況もあり、思わぬ高収入も出る。悲喜交々の毎日。

8月:笑いヨガ

更新日:2017-8-1

笑いヨガは笑いの体操とヨガの呼吸法を合わせたもので、インドで始まった体操らしい。
「オホホホ・・・」「ワハハハ・・・」と大きな声を出して、笑いながら歩き回る。身体を動かし十から十五回程度大笑いする。笑った後は四から五回深呼吸をする。これを十五分から二十分間繰り返す。最後は芝生の上で、手足を広げて仰向けに寝転がって、青空を仰ぎながら全身をリラックスさせる。一日に三回以上行う。

イライラした気持ちがなくなり、うつの気分も吹っ飛んでしまう。
ウォーキング笑い、平泳ぎ笑い、乾杯笑いなど、いろいろな動作と組み合わせると、楽しく運動量も増え、更に効果も上がる。

古事記に神々が大笑いする場面がある。太陽神 天照大神(アマテラスオオミカミ)が弟の須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴狼藉に「見畏(かしこ)み天の石屋戸(いはやと)を開きて、刺しこもりましき。」 世の中は真っ暗になってしまった。困り果てた八百万の神は天の安の河原に集まり円座を組み、あれこれと相談を始めた。「天の宇受売の命(アメノウズメノミコト)神懸りして、胸乳を掛き出で裳裾を忍し垂れき。高天の原動みて(とよみて:鳴動し)、八百万の神共に咲(わら)ひき。」
宇受売命が恍惚状態になり、怪しげで妖艶な踊りを始めたので、一同が大笑いをしたというのである。古い形のシャーマニズと素朴な笑いが結びついた結果である。

最近では、笑いを研究する学問がある。笑いはストレスを解消し、免疫力を高めることが解ってきた。脳内ドーパミンが増え、自律神経の快楽中枢のある大脳辺縁系を刺激する。エンドルフィンも増え、幸福感が増す。闘争ホルモンのアドレナリンやコーチゾルは抑制され、副交感神経が優位になる。大脳の興奮性は抑えられて、気分が落ち着いてくる。

アメリカの新聞に寿命を延ばす方法が掲載されている:笑うこと。ストレスの減少。歯の手入れ。身体運動。頭の体操。ビタミンやトマトの摂取。ファストフードの制限。禁煙。

笑いは簡単な健康法であるが、日々の習慣として長く続けるのは難しい。

7月:小暑 温風(あつかぜ)至る

更新日:2017-7-1

奈良時代に中国から伝来した乞巧奠(こうきでん)という神事が「七夕(しちせき)」となった。禊(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚に備え、神を迎えて一夜を共にして人の穢れを祓い、秋の豊作を祈った。平安時代には七夕は星を眺め、香を焚いて楽を奏で、詩歌を楽しむ宮中行事であった。サトイモの葉に溜まった夜露で墨を溶かし、神聖な梶の葉の上に和歌を書いて願いごとを託した。

江戸時代に入ると七夕行事が庶民の間に広がり、一気に華やかさが増した。
 「色紙結ひ付たる竹に、酸醤(ほうづき)を幾箇となく珠数の如く連ねたるを結び、又、色紙にて切りたる網並びに色紙の吹流し、扨は紙製の硯筆、水瓜の切口、つづみ太鼓、算盤、大福帳などを吊りて高く屋上に立つる。」仙台の七夕も顔負けするほどである。

 「幼童筆学の師は、七夕の詩歌を手本に書して習はしめ、七夕の立つる色紙へ書きて上る時は、筆道の上達するなど申伝へるなり。」短冊の代筆業が現れた。針に通した五色の糸を 盥(たらい)水に映る天の川に垂らし、裁縫の上達を祈る乙女もあった。

残念ながら、梅雨の空では星が見えず、牽牛・織女の七夕ロマンも味わえない。
また、梅雨時には南風(はえ)が吹くという。入りの風は黒南風(くろはえ)というが、梅雨明け近くになると白南風(しらはえ)に変わる。
「白南風の 夕浪高う なりにけり」 (芥川龍之介)
梅雨明け近くの海辺に立つと、南風に翻弄される夕波が白く高く光る。これから続く蒸し暑さが思いやられる一瞬でもある。

6月:喧噪と物が溢れ返る街 ベトナム・ハノイ

更新日:2017-6-1

先日五月十二日から十五日まで、ベトナム ハノイ市に滞在した。
日本で人間総合科学大学を創設し運営している先生が、べトナム・ハノイ市の郊外に東京健康科学大学ベトナムを新設した。医療技術系の大学で、看護学科、理学療法士学科、義肢装具学科を開設し、九月から学生の授業を始めることになった。

五月十三日ハノイで校舎完成記念の講演会が催された。特別講演の演者の一人に選ばれ、大学の日越医療教育研修センターの大講堂で講演をした。「日常に潜む心臓血管病のトラブルを予防するには」というタイトルで五十分程度話をした。循環器疾患を中心とした生活習慣病の予防についての内容。遠からず、ベトナム社会も慢性疾患や生活習慣の対策が必要に迫られる時期に直面する。通訳を挟んでの講演であったが、熱心に聞き入る姿から、何かを吸収しようとする雰囲気が伝わり印象的であった。

ハノイの道路には、三人から五人の乗ったオートバイが走り回っている。車線をあちこち変え、クラクションを鳴らし続けて走り抜ける。乗用車、タクシーも全てクラクションを鳴らし続けて走る。オートバイが走り回る道路を、歩行者は平然と前を向いて渡っている。
日本のように、キョロキョロして車に注意して横断歩道を渡ると衝突する。オートバイの方が人の動きを予測して、事故を避けて運転しているらしい。歩行者は横を見ない、立ち止まらないことと注意された。

ハノイの道端に並ぶ商店には、モノが人の身長を遥かに超す高さに積まれている。色々なものが溢れかえっている。日本のように少ない商品をサンプル展示しているのではない。あらゆるものがうず高く積まれている。昔の問屋街を歩いているような錯覚にとらわれた。
平和を取り戻したハノイは元気で裕福な街である。街行く人々は、明るい陽を浴びて闊歩している。ホテルの前は大通り。朝4時頃から夜1時頃まで、オートバイと車のクラクションには悩まされた。日本は何て静かな国なのだろうかと再確認した次第。

帰国前にベトナムの先生から既に講演内容の問合せが届いていた。将来のベトナムを担って立つ研究熱心な先生である。早速メールで返事を出した。

国際交流は楽しい。

5月:年中行事絵巻

更新日:2017-5-1

年中行事絵巻は後白河天皇の希望により、絵師が宮廷の年中行事を絵画化したもの。12世紀中ごろに完成した。現物は内裏の火災と共に焼失したと言われている。幾種類かの模倣版が残されていて、これが今に伝わる。

行事は宮中や特定の場所で行われたらしく、一般人を描いた画面は少ない。
宮廷人が長い行列を作って、宮廷の外へ出ることがある。都の祭である。祇園会、稲荷祭、梅宮祭、今宮祭、賀茂祭など、宮廷の華やかさを一般人が味わえる機会でもある。

面白いのは、その姿を、周りで見つめている市井の人々の様子。門の袖からこわごわ覗く女性。突然走りだした牛車にびっくりして逃げ惑う子供。馬も興奮して走り出す。前には子供が倒れ込んでいる。街中は大混乱。

長い行列の続く沿道では、待ちくたびれた大人の集まりが宴席を設け、行列そっちのけで既に出来上がっている。酒は濁酒だろうが、つまみは何だろう。残念ながら画面からは推測できない。

深くかぶっていた市女笠(いちめがさ)を差し上げ、びっくりした表情の女性の一団。顔を隠すことも忘れてしまって、隣の男性と笑い転げている。道路わきに正座して楽しそうに見上げる群衆。烏帽子を付けたもの、僧侶姿のもの、こどもに乳を含ませながら後ろで静かに見つめる女性も入り混じる。

時には、僧侶の集団が参入することもあったらしい。行列している立派な公家の服装とは対照的に、粗末な墨染の衣を着た僧侶が描かれる。数人の童を引き連れている。盲目の子供に琵琶を背負わせて、威張ったように歩く法師もいる。

様々な人々が、生き生きと描かれている。一般人にとっては、貴族の行列は一大イベントであったし、後世に語り継ぐ格好の土産話でもあった。これらを余すとところなく描いた画家の力量には、脱帽。世紀のイベントは、今でも京の祭りに引き継がれている。

絵巻物から様々なことを想像するのは、実に楽しい。

4月:巨星落つ 肥田舜太郎先生を偲んで

更新日:2017-4-1

肥田先生が3月20日に逝去された。100歳。先生は実に目出度い出生で、1月元日生まれ。全国の人々に祝福された記念日である。若い日には建築家を 夢見ていたようであるが、学生の頃、東京の下町の託児所を見学した。時代は昭和の初期の大恐慌を、軍国主義で回復させようとし始めたころであった。

不衛生と貧困にあえぐ児童を見たことが、医学生を目指す動機になったという。医学校で「小児衛生研究会」をつくり、児童の健康管理の仕事を手伝い始めた。しかし、時の政府から自由主義の傾向が強いという理由から解散させられた。大学教育は軍事教練が主流となった。「医学を教えてくれ」と大学に嘆願すると、「反軍傾向だ」と睨まれた。

軍医として広島の農家に往診中、原爆に被爆した。直後から被爆者の救済や治療に当たるようになった。終戦後、原爆被爆者を診療すると、反米活動であるとされた。人間の良心に従って行った仕事が、全て社会に反することと評価されたのは肥田先生にとって不幸なことであったし、我が国の社会体制が未熟であったのも不幸であった。

私が大学生の頃、各都道府県の偉大な医師を紹介する授業があった。その時、肥田先生の紹介があった。何ものにも屈しない、意思の強い正義感の強い人物と紹介された。強面の頑強な男子を想像した。

川口、さいわい、浦和などの診療所をまとめて協同病院を作り上げた人々の中心にいたのも肥田先生であった。数年後、協同病院で先生にお会いする機会があった。「この患者さんには、どんな利尿剤を使えばいいんですか。」「どういう強心剤にすればいいのですか。」にこやかで柔和な態度。学生の時に聞かされ、こちらが勝手に想像していた姿とは雲泥の差であった。

「原爆ぶらぶら病」、内部被爆、低線量・微量被爆などによる健康被害を明らかにした世界に冠たる業績は、先生自らの経験に基づくものである。

百歳の祝賀を本部の方に提案し、やっと開催される運びになった矢先に逝去されたのは誠に残念である。人懐こい微笑みでわれわれを見つめていることであろう。

謹んで先生のご冥福を祈ります。

合 掌

3月:埼玉の埋もれた宝

更新日:2017-3-1

埼玉のひな人形の生産は、我が国一である。始まりは戦国末期と言われている。江戸初期の「武蔵鑑(かがみ)」などにも、鴻巣宿の上谷新田でいろいろな人形が盛んにつくられたという記録が残る。幕末には、武州で作られる人形の数が浅草での人形の数を越してしまい、経済紛争になったことがある。
調停は如何に。調べてみるのも面白い。
伊勢物語に、京を捨て武蔵の国 関東を旅する男の姿が描かれている。

  みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなり

「みよし野」は残念ながら現在の三芳野ではないらしい。「たのむ」は田の面で水田地帯を表している。広大な平野に若々とした緑なす田んぼが一面に続く川越付近の光景は、都びとには珍しく新鮮な驚きを与えた。
万作踊り。埼玉県に古くから伝わっていた民俗芸能である。農民芸で、田の草刈りや刈った稲の束を担ぐ仕草を表して、身振り手振り宜しく、太鼓や鉦(かね)に合わせて歌う。豊年満作を祝う。踊り方は決まってはいない。
自己流で楽しくやる。埼玉県のみならず、日本全国で広く行われていた。今では、盆踊りとしてその陰をとどめているが、踊り方がほぼ統一されてしまっているのは寂しい。

万作芝居という語もある。芝居好きなものが集まり、自分たちの言葉や仕草で芝居をする。野良の仕事を終えて夜に集会場に集まり、役柄の練習を繰り返す。秋祭りの日に神社の境内で、仮設舞台をつくり演じる。ほろ酔い加減では、時には台詞を忘れてしまう。ご愛敬。舞台の進行とは全く関係ない万作踊りも出る。広く敷かれた筵に座って眺める観客も、近所の知り合いばかり。一緒になって踊り出す。芝居も一時ストップ。現在は川越の保存会で演じられているのみであるという。残念。失われてしまった素朴な芸能を、地域起こしに役立てては如何だろうか。
埼玉は文化の香りが高い土地である。周囲に潜む新しい発見を求めて、外へ出るにはいい季節になった。

2月:小は能く大を制す

更新日:2017-2-1

初場所は大関稀勢の里の初優勝で幕が下りた。横綱白鵬を倒し、地元茨城県牛久では大変な騒ぎになっている。応援団は、涙、涙、涙……。ここのところ、やや低迷していた大相撲。十両の取り組みでは、宇良が「たすき反り」というレスリングともサーカスともつかぬ軽業を披露した。小兵の力士が相手の腕をスルリと潜り抜け体を反らすと、巨漢の力士は一人で宙を舞った。
平成の牛若丸と弁慶の物語を見ている様であった。

永禄の頃から相撲が武士の間ではやり出した。剣術の流行より少し早かったらしい。戦国時代に一騎打ち、組討ちとして戦場で行われていたものが、相撲の形で平和の時代に残った。本来は武芸である。「取手居合」といった。
源平盛衰記にも取手とあり、今でも相撲を「取る」という表現に語源を残している。

「弥五兵衛は五尺に足らぬ小男なり。(大山次郎右衛門と小競り合いになり)大男の大山、弥五兵衛を引つかみ砂場へ打込むと見えける。弥五兵衛は打込むはずみに大山が股ぐらへ入ると見えけるが、大山は逆様に砂場へ落ちにけり(相撲今昔物語)」。先日の宇良の相撲を彷彿とさせる記事である。
 享保の頃までは、仕切りは立ったままで行っていた。「互ひに立合居て、行司団扇を引くと等しく取組むことなりし(大人雑話)」。今の立ち合いとかなり違っていたようだ。

相撲の立ち合いに待ったはなかった。しかし、寛永三年六月の吹上上覧相撲に初めて「待った」の事件が勃発した。行司の団扇に合わせ、谷風梶之助が声を掛けて立ち上がった。しかし、対する小野川喜三郎が突如「待った」を掛けた。行司はすかさず谷川に団扇を上げた。「待った」は気負い負けだと判定されてしまった。江戸っ子には「潔い」と映らなかったのだ。

相撲は粋と美を重んじるスポーツ。世界に誇れる国技として永遠に残したいものの一つである。

1月:平成二九年の新玉にあたって

更新日:2017-1-1

島根県松江市に、見事な大松が民家の屋根を貫いて空に聳え立っているという。樹齢は四百年を越す。元々は門かけの松だった。今も成長を続けている。 百年、千年と伸び続けるだろう。
さて、平成二九年の恵方はどちらが空いているのだろうか。歳徳神(としとくじん)はどの方角にいるのだろうか。恵方の若水を汲んでくると幸福と健康がもたらされると昔から信じられている。年の初めには、いにしえの教えに従い、恵方の七福神参りを楽しんではどうだろうか。川口にもある。恵比寿(傑伝寺:東本郷)、大黒(密蔵院:安行原)、布袋(正覚寺:元郷)、寿老神(正眼寺:宮町)、福禄寿(錫杖寺:本町)、弁財天(西光院:戸塚)、毘沙門天(吉祥院:南町)である。

最近は、門付けをして歩く万歳を見なくなった。昔は正月には三河万歳が門毎に賀詞を歌って歩いた。小堤に合わせて軽妙な舞を披露する。今ではテレビで駄洒落を掛け合う姿に変貌してしまった。三河万歳の技術を保存している人はいるのだろうか。
年末の講演会で、上州の磯部温泉に行き、「舌切雀のお宿」というホテルに宿泊した。天明時代から多くの旅人に愛され、利用されてきた古い温泉である。
舌切雀の神社を始めとして、つづら、はさみ、杖、ひょうたんなどが沢山残されている。現在のホテルがある裏山に竹が群生し、竹林になっていた。格好の雀の夜の帷であった。
この地方に伝わる古いすずめの伝説を、巌谷小波が童話にして全国に広めた。ホテルの入り口には、社長の銅像と小波の碑文が立っている。小波の銅像を作らないのは、如何にも商売人らしいと感じた。

日本を取り巻く世界の情況は、何となく不透明になってきた。こんな時代だから、明るい夢のある話が欲しい。物語を作るのは我々自身である。故ケネディ大統領の就任の時の演説である。今年は、みんなで、楽しい話を作ろう。

12月:「寺島先生の卒寿祝賀会」

更新日:2016-12-1

勤労感謝の日に「寺島先生の卒寿祝賀会」が催され、多くの方々が参加し た。医業を通して少しでも良い世の中に変えていこう。みんなのための医療 をやろう。患者さんを差別することなく平等に扱うこと。患者さんの生活を 支えるために最善の医療を尽くしたいという強い信念。自分の理想を実現す るために、自分たちの診療所を作ったという話に、出席者一同は感銘を受けた。 寺島先生の人徳だろうか。多くの人達の絶大な援助があった。更に、私の恩 師梶原教授との出会いも診療所の歴史で大きなターニング・ポイントになっ ている。今も衰えを知らぬ先生のバイタリティーの原点・元気の基を垣間見た感じである。

川口診療所は、寺島先生の偉大な力と多くの先輩や組合員の方々の支援で 守られてきたし、今も守られている。六十年の歴史は偉大である。寺島先生 の診療への情熱、患者さんの健康を想って怒る姿。実践を通して多くを学んだ。 若い医師を看護師さんが育てる。検査の人が内容を説明してくれる。事務の 人々が、健康保険の仕組みを教えてくれる。職員一同が、医師を育て上げる のに一生懸命であった。患者さんも医師の育成に協力し、おかしな説明や不 十分な説明には注意してくれた。診療所全体が一丸となって、若い医師を何 とか一人前に育て上げようとしていた。
寺島先生の卒寿の会に出席された方々は、久し振りに会った仲間や同僚と の旧交を温め、回顧の時間を堪能していただけたことと思う。更に、診療所 に対する意見や提案を沢山寄せて下さり、職員一同、心から感謝しております。

寺島先生には、これからも壮健でますますのご活躍を期待しています。更に、 組合員の皆様には、今後とも今まで以上に、御支援・御鞭撻を頂戴いたした く思います。
  末筆になったが、本会を企画実行してくれた川口診療所の職員一同、看護 師長、事務長ならびに組合員の皆さんに、心から感謝を申し上げたい。

11月:「秋の夜の昔話:藤原道長のこと」

更新日:2016-11-1

やっと雨続きの空から解放された。天空高く澄みわたり、乾燥した空気も肌に心地よい。夜の月を眺めながら、思索に更けるには絶好の季節である。

十一世紀初頭の平安時代。六人の貴族が権力者の頂点を目指していた。長徳元年(九九五年)に疫病が大流行し、小一条左大臣藤原済時(なりとき)・六条左大臣源重信・粟田右大臣藤原通兼・桃園中納言源保光・山井大納言藤原道頼が二、三か月の間に次々と亡くなるという大事件が起こった。残るは藤原道長一人。三十歳にして幼少の天皇を補佐する関白の宣旨を賜った。期 さずして転がり込んだ最高の位。娘を次々と天皇家に嫁がせて、外戚となり時の権力を一手に掴むことになった。
われ褒めしたまひて、「宮の御父にて麻呂悪ろからず、麻呂が娘にて宮悪ろくおわしまさず。母もまた幸ひありと思ひて笑ひたまふめり。よい男は持たりかしと思ひたんめり。」
最高の権力を手中に収め、孫にあたる宮も娘も母親も自分のことを自慢の種にできる。道長は鼻高々。酔った勢いに乗じて、遂に本心を吐露してしまった。

  この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
                    欠けたることの なしと思へば

娘が中宮に入内する折の宴で読んだ歌である。傲慢にさえ映る道長。しかし、月の満ち欠けだけは如何にもならなかった。
割りなき業(わざ)しかけたまへるを、御紐ひき解きて、御几帳の後にてあぶらせたまふ。「あはれ、この宮の御尿(しと)に濡るるはうれしきわざかな。この濡れたる、あぶるこそ、思ふやうなる心地すれ」と喜ばせたまふ(紫式部日記)。

道長は、縁続きである紫式部にいろいろのことを相談していたようだ。式部は的確に道長の人間性を捕らえている。時の最高権力者としての自信ある姿。初孫に尿をかけられ直衣を火で乾かし、有頂天になっている一介の好々爺。 思わず微笑みたくなる光景である。
紫式部の観察眼に脱帽するとともに、人間味のある道長を知ることができたのは嬉しい。

10月:「誓文払い」

更新日:2016-10-1

商売をしている人が、10月20日に京都の四条寺町の冠者殿(かじゃでん)にお参りをする。商売で止むを得ず人をだましたり嘘をついたりした罪を祓い、神罰が当たらないように祈願するのだそうである。神から誓文返しを受けとる。

大正2年の大阪朝日に、「雨の誓文払」という記事が掲載されている。
「誓文払ひの始めての日とあって、無数の小旗とあらゆる装飾物との間に大きな彩旗(いろはた)が、往き交ふ群衆の頭に触れんばかり幾つとなく垂れてゐる。九分通りまでは家號を染め抜いた眞赤なもので、他の彩旗の紫にしろ黒にしろ挑発的に群衆を惹き附けねば已まぬといった調子だ。心斎橋筋が年毎に窓硝子も見本箱、店舗の體裁も次第に歐風に移って行きながら、この誓文払となると、屋薹の突き出しと彩旗と倉ざらへの意味で山のやうに積み出した賣品が、ゴチャゴチャ然と暫らく昔に返ったやうな有様になる。

店といふ店に眞黒に集まってゐるお客さまはと見ても、現代の女優式といったやうなのは先づ見当たらぬ。美しく結い上げた昔風の髪に赤い帯を締めた船場風の娘さんが、お母さんを強請って連れ出したといったやうなのが、両側の軒端から張り互した雨覆ひ抜けて、朝から降ってゐる雨を蛇の目傘に除けて、美しい友染をいぢってゐた方が多かった。新しいものに惹き附けられる人情から到るところで賣り出してゐる渦巻染とか渦巻型とか渦巻差しを髪にして歩いてゐる女も少なくなかった。」

誓文払いの祭りの賑やかなこと。当時は、屋号を染め抜いた色彩豊かな大旗を出して、バーゲンセールをしていたようだ。街並みが、明治の古い形から次第に欧米風のデザインに移り変わって行く。買い物客は、現代と違い親子連れが多かったことが解る。最先端の流行が渦巻型であったことも解って楽しい。過去と未来が混ざり合った不可思議な世界を醸し出している。今でも賑わうのだろうか。

9月:わくわく健康夏まつり

更新日:2016-9-1

8月27日 川口診療所の夏まつりが催された。早朝には豪雨が降り、開催を心配したが、午後には曇りと霧雨に変わった。「天は我を見捨てたまわず」の心境であった。今日一杯、何とか安定した天候を……と藁にもすがる気持ちであった。

数ヶ月前から担当部門を中心に、職員全体が文殊の知恵を出し合って本日の企画が出来上がったお祭りである。天候は曇り。暑くもなく寒くもなく、絶好の日和になった。

診療所の活動を紹介する形で各種の催しが行われた。参加者は90名程度で、幼稚園や小学生も多く見られた。寺島先生、矢野議員、その他多くの来賓の方々が出席してくれた。

診療疑似体験コーナーでは白衣に着替えると、子どもよりも親が興奮し、胸にかけた聴診器姿の我が子をカメラに収めていた。心電図を実際に記録する所には、人気が集中した。握力検査では自分では力持ちのつもりが、数字は残念にも予想を遥かに下回ってしまっている。日頃から体力を鍛えていないことが、一瞬で露見した。

ディケアでは、高齢者の実体験。目隠しをして車椅子に乗ってもらう。膝関節を堅紙で固定して、松葉杖歩行をする。日常生活での不自由さを体験してもらった。 どの様に感じたであろうか。明日の介護に繋げてもらえるといい。

紙飛行機を作って、飛んだ、飛んだと喜ぶ、今までには見たこともない笑顔がある。お手玉、あやとり、輪投げなど古来からの遊びコーナーでは、老若男女が入り混じり、大変な賑わい。普段、忘れ去られているものばかり。一寸した工夫で新鮮な楽しさが味わえる。参加者は遊びの本質を理解してくれただろうか。

外のテントでは、まつりに付き物の焼きそば、かき氷、チョコバナナなどが売られている。台風10号の影響で、厚い雲が垂れ下がってはいたが、焼きそばの人気は抜群。売り切れたという。残念なるかな、かき氷のコーナーには人気が集中 しなかった。怨むべし、曇天。

祭りの最後の原水禁の報告。平和の時代における本当の平和活動を具現化する難しさをひしひしと感じた。

成功裏に診療所の夏まつりを終えることができた。診療所が行ってきたものや目指そうとするものが、参加者に十分伝えることができた。末筆になったが、診療所の職員ならびに関係各位に深謝申し上げる。

8月:十二単(じゅうにひとえ)の夏

更新日:2016-8-1

枕草子のなかの平安の宮廷夫人は実に色彩豊かな着物をまとっている。桜色の唐衣、藤襲(かさね)、山吹襲、薄い紫、香染(黄を帯びた薄紅色)の単衣、黄生絹(きすずし)(練らない絹で夏に用いる)、紅の単衣袴、萌黄(もえぎ)の小袿(こうちぎ)…。清少納言は紫色が好みだったらしい。古今東西で紫が最も高貴な色とされているのは面白い。

華やかな色彩の十二単に包まれた宮廷夫人。十二単は宮廷に仕える上級女房が、儀式や行事のときに着用する。重量は平均10から20㎏になるという。
16枚を重ねて着たという記録もあり、何と60㎏。十二単衣の用語は源平盛衰記で「弥生の末のことなれば、藤かさねの十二の御衣を召され…」と初めて使われた。実際には五衣(いつつぎぬ)といって、5枚程度が平均であったようだ。

宮廷夫人は十二単を着て、夏の暑さを如何過ごしたのだろうか。当時の気温は今の時代よりも3℃程度高かったと考えられている。8月の平均気温は30℃をはるかに越していた。蒸し風呂のような平安京の暑さ。御所は寝殿造り、柱のみで壁などはない。簾、几張、絹を垂らした襖障子などで仕切りをしてあるのみ。夏の季節に合わせて作られている。

十二単衣は春夏秋冬の季節に合わせて、着替えていたようだ。「源氏物語絵巻」の夕霧巻 雲居雁に夏の光景が描かれている。シースルーのような肌が透けて見える単衣を着ている。流石に当時の知的派女性の代表格である清少納言は見苦しいと評している。汗衫(あせかざみ)という汗取り短衣もあった。

夏には氷を食べる。各地に氷室という天然の氷を保存する場所があった。
外気温が零下10℃以下になる冬の池や田圃などを利用して氷を作る。氷室に保存しておいて、夏に少しずつ利用した。用途に応じて分け与えられる氷の割合が決められていたようだ。6月以降には一般庶民にも配られた。枕草子や源氏物語には氷を食べる場面が出てくる。

平安人は猛暑をたくましく乗り切る工夫をしていた。

7月:微笑ましい間違い

更新日:2016-7-1

人は誰でも間違える。専門的には間違いは、スリップ(うっかり、ぽっかりして忘れること)、ラプス(頭の中に覚えて溜め込んでいたものを忘れてしまうこと)、ミステイク(やろうとしていた計画そのものが間違っていること)に分類されている。大きな被害が出る間違いでは困るが、なかには微笑ましくて、心が和むようなものがある。

先日の朝のテレビのワイドショーでの話。磐越西線会津若松駅での出来事。

会津は古い町である。鎌倉時代に芦名氏によって黒川城が創設され(1384年)、伊達正宗、蒲生氏卿など歴史上に名をなした人物が城主を務めた。1593年には名も鶴ヶ城と改名。現在の城の姿に様変わりしたのは1639年のことである。その後、幕末では新撰組・白虎隊など、新しい日本の夜明けを作り出した人々の活躍の場でもあった。

遠くに白雪を頂くのどかな平野。磐越西線で起きたこと。会津若松駅構内の電光掲示板に「喜多方ラーメン 15:25 郡山 1」と表示された。地元産業のPRだとしたらこれほど大きな宣伝効果はない。遂にJRも地場産業のPRに、本腰を入れてきたかと思った。

「地域おこし」という語が叫ばれてから久しい。しかし、地場産業もなくアイデアもないまま、単語のみが勇ましい掛け声とともに独り歩きし、今では何処でも幽霊語になってしまっている。JR川口駅で通勤時間帯に駅ホームの電光掲示板に、川口の誇る名物を宣伝したらどうだろう。食べ物、技術、建物、残された自然、…。

駅を毎日乗降する人が、自分の住む川口について、どれだけの知識を持っているだろうか。零に等しい。通勤列車を待つ時間帯に、ホームの掲示板に川口の地場産業や名物の宣伝が流れてくるのを見ているだけで、自分の居住地のことを知る絶好の機会となる。スマホで暇な時間を潰すよりはずっと建設的である。

今回の「喜多方ラーメン」のスーパーを意識的に流したとしたら、試みは素晴らしい。 江戸時代の戯作者的発想である。弥次さん・喜多さんが顔負けして、たじろいで仕舞うほどだ。しかし、残念ながら、ことの真相は別の所にあった。JRの操作の間違いで、12年前のラーメン祭りの宣伝が流れてしまったためとのこと。

JRでは遠慮することなく、地元のことをどんどん宣伝した方がいい。無味乾燥な駅名を終日点灯させたままでいるよりは、地元の名産品名を流した方が、余程活気が出ていい。

地域を活性化するには一休和尚なみのトンチが必要だ。

6月:相撲の記

更新日:2016-6-1

川口駅前のテレビの大スクリーンに相撲中継が映し出されていた。折しも、横綱と大関の取り組みである。両者とも土付かず。全勝同士の対決である。
サラリーマンの帰宅時間と今日の最高の取り組みとが重なったから大変。大スクリーン前は100人以上の人の波で埋まってしまった。皆が画面を注視。大関の勝利を期待するもの。横綱を応援するもの。全く知らない同志が、にらみ合いの時間にも好き勝手に解説をしている。右を組め、左を差せ、ぶちかませ。お互いが口々に何かを叫んでいる。

時間一杯で立ち上がった。横綱がいなすとみんなが「おっとと」と声を出す。
大関が寄ると「そこだ」と声がかかる。押しこまれると、「がんばれ、がんばれ」の声援。6対4で大関を応援しているものの方が多そうだ。劣勢なものに味方したい。世の常、人の常で、「判官びいき」は何処にでもある。何時の間にか大勢の輪の中に入り、声を出して応援している自分を見つけて苦笑した。不思議な一体感に包まれた瞬間であった。

相撲取りの勝ち話という諺があるらしい。殊のほかに自慢することの喩である。余り使われている所を見たことがないので、どんな場面に使うのかは知らない。相撲取は、自分が勝った勝負を自慢して大法螺を吹くのだろうか。谷町へのサービスなのだろう。

医局に入りたての頃、病院に多くの関取が出入りしていた。おしん横綱隆の里関は、まだ上京して間もなかった。「横綱になるから……」と口癖のように言っていた。怪我や病気との闘いの連続で、横綱になるのはとても無理だろうと思っていた。負けず嫌いの男が、人一倍の節制とトレーニングで遂に日の下開山天下の横綱の地位まで登った。親方になってから弟子には厳しかったが、相撲茶屋で働く人々や周囲の人に細かな気配りをしていた。相撲社会のことを何時も心配していた。会うと相撲の将来の大きな夢を楽しそうに語っ ていた。隆の里関理事長の実現が見られずに終わったことは残念である。

 相撲が国技に留まらず、世界に向けて大きく発展していくことを期待して止まない。

5月:熊本大地震

更新日:2016-5-1

4月の14日、午後9時26分。自宅で夕食をとっているときである。一瞬地面に吸い込まれるような感じがしたあと、揺ら揺らと小さな横ぶれが暫く続いた。熊本県の益城町(ましきまち)を震源地とする地震の始まり。当地の震度は7を越した。阪神大震災と同じ大きさだという。現地では多数の家屋が倒壊し、家の下敷きや生き埋めになった人、死者も出た。火災も発生した。阿蘇山に震源が続いていることから、火山爆発もあった。大きな被害に繋がらないことを願う。今朝の報道では、地震は更に東へ、大分県の方向に拡大しているという。

古い記録。「弘化4年(1847)信濃国大地震にて、民家かなり潰し即刻山々火所々焼失。 圧死焼死不知数。山崩れ犀川に落入。水湛ミ湖のことし。一時に秡崩シ溺死するもの幾千といふをしらす。」

嘉永7年(1854)の関東大地震では、東海から南海地方までに及ぶ被害の記録がある。 やはり家屋の倒壊と多くの死傷者が出ている。三島で死傷者70余名。天竜川は決壊し500件が流され、四日市では大津波で43軒が流された。大阪では40件ほどの家が倒壊し、船の被害が75艘。「つふれ家多しなかなか筆紙につくしがたく……。」

今回の熊本大地震では、報道によると死傷者約1200名。建物の倒壊は2500棟。 避難者は10万人近くにもなる。4月20日になっても地震はまだ続いている。残念ながら、地震の対策は昔も今も殆ど変わっていない。現代の科学をもってしても対応が難しい。我々の英知が問われている。

寒い季節ではないので、多くの人々が体育館、車の中や屋外に寝泊まりしている。避難している人の間でエコノミー症候群が現れ始めた。更に、大雨が加わり、不安定な地盤による土砂災害を引き起こす心配が出てきた。長い避難生活では、疾患は重症になりやすい。普段から健康だと思っていた人にも、予想外の病気がでる。心には大きな後遺症を残す。悪循環となる。

地震が発生して1週間。やっとライフラインの復旧が始まった。地震が続く中での支援は困難なことが多い。しかし、被災地では、多くの人々が援助を待っている。みんなで手を貸そう。知恵を出し合おう。危機の情況下では、正確な情報を一箇所に集める。総合的な判断で指揮する力が最も大切になる。被災者が元の生活に早く戻れることを心から願って止まない。

4月:掘り起こしたい 田舎の文化

更新日:2016-4-1

先日の新聞に「街を知ればもっと街が好きになる」という記事が出ていた。故 郷の文化や歴史を見直そうという運動である。選ばれたのは「彩の国 21世紀郷土かるた」。
かるたの季節はもう終わっているが、郷土の歴史を学ぼうとする「川口すごか るた制作委員会」の活動は活発だ。「かるた」と「すごろく」を完成させ、郷土の 意識を盛りたてようと頑張っている。

荒川は 憩いと産業育む 夢の川
植木の地 安行広めた 吉田権之丞

読み札の句を広く募集しているという。
私事ながら、地方で作られた小物を大切に保存している。
一つは、地方の工房で作った7.5×11㎝の小さな豆本。中部地方の炉辺伝説が木彫りの文字で彫られている。色彩豊かな挿絵が面白い。
 「むかしむかしのこんだ。おらの爺さまが、そんまた爺さまにきいた話だけん。…… ……。いや、おかしいのなんのってよ、話し手の爺さまが灰神楽あげてわらえばよ、婆さまは坐りしょんべんするほど笑えつぶれてよ。……」素朴な田舎の話し言葉で綴られている。深々と雪の降る囲炉裏端で子供に聞かせたのだろうか。

もう一つは、故郷のかるたである。読み札は木彫り文字で印刷されている。絵札は9㎝四方とやや大きめである。

「あしの葉で 切れ味ためす 藤吉郎」

白黒の木彫りの絵札の裏には、「鎌研池と片葉のあし」の物語が解説されている。
何れも朴とつとした田舎の文化の匂いがするものばかり。今でも作られているのだろうか。大切に育てていきたいものの一つだ。

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